行方の行方

このサイトは盧 興錫による『風景の行方、作品の行方』http://rofungsok.ro21.orgの続編です。
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古代は、我々の小さな想像力を軽く凌駕する
jinja

冬の朝は、暖かい寝床が恋しくなかなか起きれない。
春になり起きやすくはなったが、粘っこい眠気から目が覚めない。

そんな寝床でうとうとしながら、朝のラジオを聞いていた。
出雲大社で遷宮が行われ、今年に限って本殿内が特別拝観できるとのこと……
聖火リレーの出発点を辞退した善光寺に落書きがされていた……
国宝である○○は……
「どちらも国宝だな…」
ボーとしたまま起き上がった。

夜になって、ニュースを確かめてみた。
善光寺のニュースは確かめなくても盛んに流されていた。
出雲大社の方はネットで調べてみた。
確かに今年、本殿を大修繕するらしい。
先月、出雲大社の事を書いたので、その偶然に少し驚いた。
60年に一度の好機到来だ。是非も無く行くべきだろう。

出雲大社本殿というのは、本当に破格だ。
超絶、ウルトラなものだ。
現在の規模は、高さ24メートルというものだが、18世紀の立て替えまでは高さ48メートルもあり、日本で最大の木造建築物であった。しかも、まだ遺跡などは発掘されてはいないらしいが、創建当時の古代から幾世紀は、高さ96メートルであったという説もある。
(大林組が作ったCG画像はスゴイ)
あまりにも大きく高い。「謎」と呼ぶにふさわしいくらいの規模だ。

出雲大社の創建は、紀元4年だそうだ。
そのころの風景を想像してみる。
弥生時代の後半なので、
稲作は始まっているので、辺り一面は田畑が広がる。
その中に吉野ケ里遺跡のような集落が所々ある。
建物は茅葺き(かな?)
高さは集落一高いものでも今の4階だてくらいだろう。
住宅は平屋がほとんどで、それこそ大家族で住んでいたのだろう。
周囲は林や森だ。遠くには山並みが見える。

この基本的な風景は現代までつづくものだ。
この基本の一角が、一地域が、一地方が時代とともに変化してきたのだ。
この風景の、あるところに古墳がつくられ、伽藍や都がつくられ、城が築かれ、城下町ができ、工場が建てられ、都市ができあがった。

日本で最初の超高層ビルは1967年の霞ヶ関ビル147メートルだ。
おおよそ二千年も前の96メートルとは、いったいどういう事なんだろう。
確証が得られている48メートルだって恐ろしい高さだ。
低かったものが高くなったのではない。
高かったものが低くなったのだ。
二千年間、この国を見守ってきたと十分いえる。

神社の起源では、本殿のような建物などはなかったようだ。
大きな岩や森が、そのまま信仰の対象であったという。
拝殿、本殿といった建築物が一般的になるのは、
仏教が伝来し伽藍が建立されるようになってかららしい。
神社に本殿が無かった頃、いきなりの超絶大神殿
本当に不思議だ。
古代は、我々の小さな想像力を軽く凌駕する。


tenbou

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