行方の行方

このサイトは盧 興錫による『風景の行方、作品の行方』http://rofungsok.ro21.orgの続編です。
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マンガの中を生きているように思えた
motomiya


電車の中吊り広告を見上げる。
本宮ひろ志 新連載!!
少年ジャンプ
「まだ、やってるんだなあ」
という間の抜けた感想が腹の底辺りからあぶくのようにあがってくる。

もう40年も前の、1968年
本宮ひろ志は『男一匹ガキ大将』という漫画をひっさげ
新たに立ち上げられた「少年ジャンプ」に登場した。

ジャンプは、その頃シェアをしていたサンデー、マガジン、キングという少年3誌の城に切り込んだ新顔だった。
男一匹のストーリーは、万吉という不良学生が、喧嘩に喧嘩を重ね、日本の不良学生の頂点を極めるという荒唐無稽な話で、画面にやたら不良学生集団が100人、200人と登場しては争うシーンが多かった。
ストーリーもコマ割りも画風もそれまでのマンガのかっちりとした物とは違い、
バイオレンスな新味にあふれていた。

マガジンもサンデーも1959年には発刊されていて、
55年生まれの私は、小学校高学年には当たり前のように毎週発刊される
これらのマンガ雑誌を読みふけっていた。
そこにジャンプも加わり、マガジンとジャンプは小遣いで買い、
サンデーやキングは友達のを借りて読んだりとかいう風だったろうか。
ただ中学を卒業する71年頃には、飽きが来て『あしたのジョー』の最後(73年)をもってマンガは卒業した。
55年以降生まれは、草創期のテレビとマンガに相当に濃い影響を受けて育った初世代といえるだろう。『鉄腕アトム』アニメは63年から、『ウルトラマン』のテレビ放映は66年からだった。もちろん映画も言うに及ばずだ。
団塊世代の10年ほどあとの世代である。

不思議なもので「卒業」すると、全く関心がなくなった。
時折、場末の中華そばやで、油に汚れたマンガを手に取ることもあったが
すすんで読む気にはならなかった。
以降マンガとの再会はなかったし、これからもないだろうが、
『マンガ的世界』との再会はあった。
それも思いもかけない意外なところであった。

80年代末のバブルは、人の世のリアリティーを嘲笑うものであったが、
バブルがはじけた後、地の底から怨嗟が炎のごとく吹きあがった。
松本、地下鉄サリン事件-オウム真理教事件だ。

地下鉄事件から二日後の1995年3月22日、
山梨県上九一色村にあるオウム真理教の本部に強制捜査が入った。
小さな鳥カゴに入れられたカナリアを手に持ち、化学防護服を着た機動隊、警官が、百名、二百名と隊列を組み、工場としか見えない教団施設に向けて行進して行く。
車両が施設に横付けされ、一斉に突入と言ったような図ではなかった。
隊列は細長く、ある場所から徒歩で近づいて行くといった画であったと記憶している。
『まるで劇画だ…』
事件そのものが衝撃的であったのはもちろんだが、あの強制捜査のテレビ映像も衝撃的だった。劇画、マンガの画のようなことが現実に起こっていたのだ。

強制捜査後、事件や教団の詳細が徐々にあきらかにされていった。
教団の組織や運営、事件の計画から実行 そのすべてがマンガ的だった。
幼稚という意味ではない。彼とその取り巻き、麻原と教団幹部の世界認識は、マンガの中を生きているように思えたのだった。
ちなみに、麻原も55年生まれだが、単なる符合ではあるまい。

強制捜査の日の画像をネットで検索してみたが、見当たらなかった。
あの化学防護服にカナリアを持った機動隊員隊列の姿は、忘れる事はできない、忘れてはならない、見た事が無ければ見るべき「現代」を象徴する光景であろう。
残念だ。

マンガは、漫画とも書くし、まんがとも書く。
60年代、70年代に少年誌を彩ったマンガと、いまの「ポップカルチャー」であるまんがとは、ずいぶんと違うようにも見受けられるが、どうなんだろうか。


manga
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