行方の行方

このサイトは盧 興錫による『風景の行方、作品の行方』http://rofungsok.ro21.orgの続編です。
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種の存在を強く感じさせる-慶南にて
蔡峻展会場


まだ慶南での話はつづく。忙しすぎて話がなかなか進まない…

開催されていた4つの春季展のうち、
美術館で一番大きなスペースを使い展示されたのは、蔡峻展だ。
在日コリアン美術家の韓国での大規模な個展は、これがはじめてであろう。
会期も残り2週間となった。

蔡峻先生は、この美術館のある慶尚南道昌原市で、1926年に生を受けられ、
幼児の頃に両親とともに日本に渡ってこられた。
蔡峻先生についての紹介、作品については、他のHPページに譲るとして、
先生と接していて、いつも思う事がある。

それは「美術家に生まれついた人」だなということだ。
もとより美術を生業にできる人など、そうはいない。
先生も生業では、長く新聞に政治風刺漫画を描いてこられた。
それは幸か不幸か、決して素養に合わないものではなかったようだ。
その証拠に漫画は非凡な水準のものではなかった。

しかし、先生の持つ創作力は、その枷の多い分野に甘んじる事は許さなかったようだ。
それを強く感じさせたのは、1997年の個展の時であった。
なんと71才のときだ。
一般的に言えば、「できあがってしまった」年代だ。
いや、「とうにできあがって、そろそろ風化しはじめる」年代だ。
ところが、その創作力は「今が盛り」といえるほどの勢いだった。
長く閉じ込められたものが、吹き出したような印象を強く受けた。

驚き感心している私を尻目に、
先生は何かに焦っていられるようでイライラされていたように見えた。
きっと、次々と沸き上がってくる作品のインスピレーションを、
物質化ー作品化するのが間に合わず、もどかしく思われていたのだろう。
いまから思えば。

もちろん、その年のずっと前から、幾度か個展やらグループ展などは
されてはいたが、堰を切ったように蔡峻世界を思い切って見せたのは
この時が始めてではなかったのだろうか。
それ以前の事をあまり知らない私には、そう思えて仕方が無いし、
先生自身もあまり語りたがらない、あるいは覚えておられないのは、
そうであることを裏打ちしていると言えるだろう。

人は誰しもそれぞれの「種」を持って生まれてくる。
種は開花したり、実を付けたりするが、そうでない場合もある。
その種が人の運命を左右するのか、人が種の運命を決定づけるのか、
良く分からない。
先生は「種の存在」を強く感じさせる人でもある。

蔡峻に関するWebページ
http://www.areum.org/home/abcd/c_artist/chae_jun/chae_jun.htm


蔡峻展の告知ページ
http://info.areum.org/?eid=609548



蔡峻盧
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