行方の行方

このサイトは盧 興錫による『風景の行方、作品の行方』http://rofungsok.ro21.orgの続編です。
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脳裏に故郷の記憶はまったく無い-慶南道立美術館
museum

美術館は高台に建てられていて眺望がいい。
ただ南向きでおまけに総ガラス張りときているので、あまりにも日当たりが良すぎる。
展示室には当然日の光が差し込みはしないが、私の作品を展示したところは、
建物から張り出したガラスの空間で、朝日から夕焼けまでも拝めるところだった。

暑いのでTシャツ一枚になって設置作業を進めたが、
どうも空間がきれいすぎて、明るすぎて落ち着かない。
大理石のピカピカの床や壁、ガラスの空間、差し込む日差し…

3年前に作品を美術館に送る際、とりたてて何の条件も付けなかったが、
当時の担当したチャン学芸員に、ひとつだけ「お願い」をしてみた。
学芸員とのやりとりはこんな感じだった。

「作品を展示するとすれば、本来の形が望ましいのでしょうね?」と私

『本来の形以外にもあるのですか??』とチャン学芸員

「できれば作品を埋めたいんですよ」

『??..はあ…』

「いやあ、まったく埋めて見えなくしてしまうという事ではなく、
半分くらい埋まった形にしたいのです。廃墟に半ば埋まっているもののように」

『………』

「室内は無理でしょうから、野外でいいんです。
ただいわゆる野外彫刻というのとは違いますから、できれば館の脇とか、裏とかで…」

『それでは踏まれたり、壊されたりという心配がありますね』

「壊されたり、踏まれたりしたとしてもそれはやむを得ないんですよ。
それよりも現在の作家の心情としては、そういう形が一番いいと思うのです」

『でも作られたときは、そうではないわけでしょう。
本来の形が望ましいと思いますが』
チャン学芸員は明らかに困惑していた。

他の事の意思の疎通は何の問題も無かったが、やはりうまくは伝えられずに別れた。
今、思い返すと、私自身が作品を埋めるという事について、その時点では
まだ考えを整理できずにいたので、それをうまく伝えられなかった。

今回、担当してくれたイ学芸員とも、そのことについて話し合ってみた。
何となくは理解できたようだ。少なくとも理解しようとはしてくれた。
私の説明も3年前よりは説得力をもったのかも知れない。
彼は私を伴い、美術館内の候補になりそうなところを回ってくれた。
ただ、あまりにも時間が無さ過ぎた。
今回はここでやって、のちに考えましょうという答えを互いに出した。

なぜ95年までの作品を埋めたのか?
そして、それらの作品を故郷の(正確には、私の父の故郷の)美術館に送り、
どう展示し、何を見極めたかったのか?
作品を埋めるとはどういうことなのか?
その先はどんなことが見えてくるのか?
それをこれから少しずつ解き明かして行くのが、私の課題である。

温室のような、私の展示コーナーも夕闇が迫って来た。
日が傾き、ガラスの向こうの風景も視野に入りやすくなった。
一人、「まるで露天風呂のようだなあ」などとつぶやきながら見入った。
『道』と名付けられた作品の向こうに見える山々は、まぎれもなく故郷のものだ。
それなりの感慨も湧く。
しかし、五感や身体はともかく、脳裏に故郷の記憶はまったく無い。


road
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