行方の行方

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鉄色の、鉄の匂いがする風景 小説『レディー・ジョーカー』
tatsuiro


焼き殺されそうな酷暑が幾日も続いている。
陽が傾き始める頃だというのに、電車の窓から差し込む日差しは強烈だ。
冷房の効いた車内の一番隅の席に座り小説を読む。駅に停まるたび本から目を外し駅名を確かめた。
乗換駅まであとふたつ。最終章の残りページはあと二、三十ページはあるだろうか。

乗換駅に着くと、しおりの代わりに指をはさみ、本を手に持ったまま乗り換え通路にあるカフェに入った。ここでそのまま残りを読み切ることにした。手に持っていたのは新潮文庫『レディ・ジョーカー』下巻、指を挟んでいたページは426ページ目だ。上、中、下巻の三巻構成で一冊がおよそ500ページという長編だが、ようやくそのゴールが近づいてきた。

この数年、小説というものをまったく読んでいなかった。年に一度ほどは何らかしか挑んではみるのだが、その創作世界に浸りきる事ができずに途中放棄するものばかりだった。読める、読む本は圧倒的にノンフィクション類が多く、どうも「お話」を読むことができずに、自然と小説から遠のいていた。

それでも高村薫の小説は、十年以上も前になるが、『リヴィエラを撃て』『マークスの山』と読んだ記憶があり、ある程度の期待はあって買ってみた。

『レディ・ジョーカー』 読み始めてすぐに「鉄色、鉄の匂いー風景」という語が浮かんだ。「鉄色、鉄の匂い」とは、鉄さび、鉄にペンキを塗ったもの、あるいはそのペンキが排気ガスなどで汚れ、雨だれの跡が錆びたもの、くたびれたトタン、ダンプが舞い上げるほこり…そういった感じだ。上巻の舞台となった品川、羽田、大森、蒲田といったあたりは、鉄色、鉄の匂いが一段と濃かった地域だ。

作者もそして私も「鉄色の、鉄の匂いがする風景」の中で育った世代だ。高村薫氏は1953年生であり、私は55年。終戦からおよそ十年で生まれ、高度経済成長ともに成長、瓦礫色の風景はみるみる鉄色と変わっていき、そこかしこでド〜ンド〜ンと杭打ち機の音がとどろいていた。

幼児の頃に新宿発の蒸気機関車に乗り甲府まで行ったという話をすると、あまり信じてもらえない。なぜなら小学生時分にはもう新幹線が開通した。アポロ11号によってもたらされた月面の映像を見たのは中学生だった。

経済成長とともに、鉄色、鉄の匂いは瞬く間に風景全域を覆ったが、すぐにアルミ、ステンレス、チタン、ガラスなどの「ひかりもの」がそこかしこに沸々とあらわれた。ポストモダンやメタポリズムといった言葉が風に舞い、“現代”彫刻家たちもこぞってステンレスの箱のような作品をつくり磨き上げるのにいそしんでいた。

昼夜の境界もあいまいとなり、季節の移ろいも感じにくくなり、まごまごしているうちに、この世界の「陰となったものたち、陰とされたものたち」は、いつのまにか暗い谷底へと突き落とされ、気がつくと似非クリスタルな風景が無関係にそびえていた。
そして、それらは今となっては巨大な墓石群のように見えたりもする。

戦前、東北の寒村出身でかろうじて大手ビール会社に就職した岡村という者が、復員してきて職場復帰したものの、すぐにそこを退職することとなった。その顛末を書き記した昭和二十二年の文章を、ビール会社へ送ったことから始まるこの小説は、企業小説、警察小説、推理小説などと呼ばれはするが、瓦礫から鉄色、似非クリスタルに至る風景の中を、蟻のごとく生きた人々の物語だと、私は読んだ。

一見、意図不明なその昭和二十二年の文章の中に、こういうくだりがある。
《一つは人間であること、一つは政治的動物ではないこと、一つは絶対的に貧しい事です。實にそのことを云ひたいために是を書くのです。……。たゞ此の世に生まれた意味を今以て理解しかねている一人の人間が、この先成仏せんがために書くのです。》

それは、一人のナマの人間の声なのだが、企業論理からすれば、あまりにバカバカしい内容、読むに値するようなものではない。小説は、企業、組織、そしてそこに蔓延るトラップ網でできあがった社会に生きるナマの人間達の葛藤、生きる意味を問わなければならない不幸がテーマになっている。

事件に関わりながらも捜査の一線から外される合田刑事、被差別部落出身で息子を亡くす秦野裕之、闇の世界を追う新聞記者根来史彰、事件の首謀者で生涯工員だった物井清三、犯人の一人である在日朝鮮人高克己など多くの大枝小枝をはり巡らした物語で、看板としては合田が主人公なのだが、あえてあげるなら物井を裏返しにした存在、ビール会社の社長城山恭助に思いが残る。

大手ビール会社の社長として日々奮闘している城山は、カリスマでもなく暴君でもなく、〈企業を率いている経営マシン〉であるが、事件に巻き込まれ、悩みもがくその姿は、大企業の社長と言えども蟻一匹として描かれている。事件はマシンを揺るがし人間としての揺らぎが訪れる。

事件はかがり火となって闇社会を照らし始めるが、それを追う新聞記者根来の「眼」が作品の主調となっている。
《根源も論理も必然も欠いたまま、天皇とか、民主主義とか、差別といったそれぞれの塊は、いまや車の排気ガスやカラオケの騒音に混じって、時代の只なかに不可視の綿埃(わたぼこり)のように漂っている、と根来は思う。その上をJRの電車のまばゆい明かりが走り、彼方の夜空には、東証株価の一万六千円台の乱高下や、日之出ビール社長誘拐六億伝える広告塔の電光ニュースがぴかぴか光り、高架橋の下を行く雑踏の蹴散らした綿埃は、その辺で吹き溜まりを作っているのだ、と》…中巻

日之出ビール社長誘拐云々というのは、物語に合わせたものだが、ここは秋葉原無差別殺傷事件でも幼児虐待殺人事件でも、何でも良い。まばゆい風景の中を、人々の思い、情念、拘り、信条、志向などが綿埃となって漂ったり吹き溜まったりしている…秀逸な描写だ。

こんなくだりもある。
《付け狙われているという圧迫感は、それほど先鋭でもなかった。それよりも根来は、自分自身の心持ちのほうがはるかに茫々としているのを感じた。具体的な一つ一つの事柄ではなく、自分を包み込んでいるこの時代と社会のトンネルはどこまで続いているのか、もういい加減、空を見たいといった漠とした息苦しさだった。振り返っても後ろには何もなく、行く手にも何もない。ああ、ろくでもない人生を送ってしまったと独りごちると、急に一杯やらずにはおかれない気分になった。》…中巻

これは根来の個人的な状況からくる心情だけを言っているのではない。〈自分を包み込んでいるこの時代〉を見つめる者、見つめようとする者がやむなく陥る絶望感、虚脱感だ。

物語は勝者も敗者もなく終わる。
物語の狂言回しは「カネ」であるが、作者は「カネ」を得て、なおも人食い鬼のごとく修羅の道を生きる者どもへの言及はない、「カネ」は強請ったけれども、それが目的ではなかった奇妙な者たちの行方で幕は閉じる。それらの行方に不満足はなかった。大枝小枝のはった大木の姿が、ありのまま心に残った。

この小説のモチーフとなったのは、『グリコ森永事件』だという。あの事件が起きた頃は、事件そのものにたいして関心はなかった。この本を読み、改めてあの未解決未解明事件を知り、小説以上の深い闇に言い知れぬ戦慄を覚えた。

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