行方の行方

このサイトは盧 興錫による『風景の行方、作品の行方』http://rofungsok.ro21.orgの続編です。
<< 寝そべって何を見つめ何を思っているのか | main | 鉄色の、鉄の匂いがする風景 小説『レディー・ジョーカー』 >>
“抗い”は流れをあぶり出す
10.5.21


”忙殺”という語、何気なく使う事が多いが、しげしげと見てみると凄みのある字ズラだ。このところ殺されるほどではなかったが、窒息しそうにはなった。タスク、些事、煩事ひとつひとつに気を取られているうちに、いつしか頭の窓は閉まったままとなり、淀んだ空気が立ちこめていた。

日々の暮らしを楽しむようにと思ってはいるが、そううまくはいかないものだ。気がつくと、自らが作った「日常」という壁、いやもしかすると誰かがこっそり作り出した「日常」にべったり貼り付いてしまって余裕を失っている自分がいる。

そんな時はやはりリセットが必要で、人が旅に出るのは、おそらくそのためだ。
旅に出る事がかなわないなら、身近で同じ作用をしてくれる”何か”を見つけなくてはならない。この間も隙を見ては展覧会情報などを眺めてみてはいたが、どうにも食指が動くものを見つけられない。

それでも上野の科学博物館でやっている『大哺乳類展』はなんだか見てみたくて、なるべく空いていそうな平日を選び行って来た。いい展示だったが、期待しすぎたせいなのか、もの足りなく感じた。そのせいなのか、館を出るとき何故かライオンのぬいぐるみなんぞを買って帰って来てしまった。以来こいつは居間のソファに寝そべっている。

五月の連休は一時的に夏日になった。
冬終わり、春が来たのではなく夏になったような陽気だった。
あまりの暑さに戸惑い、外に出るより、散らかっていた机の上やら仕事場を片付けた。郵便物の束からハガキが出て来た。展覧会のDMだ。
写真の上に『ドロの舟と、』の赤い文字、「大矢りか、野外作品写真展」
「そうだった」と二日後にでかけることにした。

10.5.21a


会場は神保町、神田古本街。
周辺で面白そうなものがあれば、他も見に行こう。
ギャラリーの情報などは、おそらくツイッターなんぞがいいかもしれないと検索してみる。
いくつかアート情報のツイッターページが見つかったが、告知ではない感想口コミのものは見つからなかった。

展覧会情報などは『よかった!』などの一言でも充分だから、告知でないものがあるといい。そういうものばかりがツイートされているページがあれば便利だろうに。もしかするともうあるのかも知れないがツイッターそのものをやっていないので、いまいちよく探せない。

ネットの中をうろうろ巡っているうち、カロンズネット(現代美術のウェブマガジン)の情報欄で「青野正」の名前が眼に入った。
青野さん、本当に久しぶりだ。十数年ぶりだ。
展覧会タイトルは『テツモジ』。銀座五丁目にあるギャラリーだ。

御茶の水駅で降り、神保町に向け歩く。
新築されたビルも多くなり、昔の面影が失われつつあるのは残念だが、世界一の古書店街はまだまだ健在のようだ。ぶらっとひとつの書店に素見し(ひやかし)で入った。学術書の背表紙というのは、書棚に鎮座しているだけで言い知れぬ迫力がある。それが幾重にも並んでいる姿には圧倒される。

『奈良朝服飾の研究』『神語りの誕生』『韓日昔話の比較研究』『ロシアの神話』『中国古鐘の研究』…分厚く重そうな背表紙の文字を読んでいるだけで、頭の中を色んなものが広がっていく。デジタル時代まっしぐらだが、こういう古書店の有り様は無くなってほしくない。
”実”があってこその”写し”だ。

大矢さんは、このところ海外ー韓国、オーストリア、オーストラリアなどでの野外制作展示が続いているようだ。ドロや木、藁などの自然素材を現場で調達し、それらを用いて舟の形をつくり、展示している。作品はその場で朽ち果てて自然に帰って行くまでの過程を包含している。おそらく作る意思や意味よりも、作られたモノ(舟として表わされた)たちが、土に還っていく姿、時間を作品としたものと思われる。

当然ながら、神保町の会場(クラインブルー)ではドロ舟はなく、現場の写真が展示してあった。
「当然ながら」と書いたが、もし神保町あるいは都心のギャラリーなどでこの舟を出現させようとしたら、それはまったく不可能ということではないだろう。かなりの苦心と運に恵まれれば可能だ。しかしドロ舟がそこで朽ち果て自然に還っていくことはできない。展示期間が終われば“ゴミ”として処分される事になる。それでは作家の意図とは正反対で醜い。

土に還り残らぬ美術、文明へのアンチテーゼ。
いかにそれを記憶として残すかが課題だ。今回のような写真による展示、それも答えのひとつだろう。

地下鉄を乗り継ぎ銀座へ。
青野さんの展覧会はShowcase/MEGUMI OGITA GALLERYというところだ。
始めて行くギャラリーで、うまく探せなく電話をして聞いた。

手すりの無い狭い階段を四階まであがった小さなホワイトキューブスペース、ショーケースとはうまい名前だ。その小さなホワイトキューブの壁全面に、小さな鉄の像が張り付いている。
トンボ、熊のぬいぐるみ、ピストル、人々…色んな小像が象形文字のように並んでいる。
おそらく作家に聞けば、鉄文字で書かれた物語を読み解くことができるだろう。

たくさんの小さくかわいいテツモジ達、だがそれらは鉄のもつ荒々しい表情をむき出しにしている。
撫でたり握ったりすれば手が痛む。GINZAの居並ぶ海外高級ブランドビルに挟まれるように建つ細くて古いビル、その小さなスペースに小さいが荒々しい鉄の像達が呪文を唱えるように並んでいる。なかなか良い風景だ。

ドロと鉄。
私たちの身近にありながらも、意識される事はほとんどない。
彼らは何故、流れに”抗う”ようにそれらを提示するのだろう。

世間ではピカピカ、キラキラ、スベスベ、とろーりとしたものが風靡している。言うまでもなくそれらは現実を覆う薄皮にすぎない。人々の関心、欲望、命運のすべてが”マネー”によって、末梢まで”支配”されているという現実の実相、実態を、それらをもって覆い隠そうとしている。それが今時の風の流れだ。

ラメ色きらめく街の風景。
整然と「日常」を生きる人々。
薄皮の下に眼を凝らせば、人々の膨れ上がった苛立ち、暴力衝動、絶望感がどす黒く横たわっている。溜まったエネルギーは時として、あらぬところに”裂け目”をつくり噴出する。
それを“事件”と呼ぶ。

ラジカルでもなく、エグくもなく、強弁でもないアート(美術)でも、良心的な“抗い”を秘めているものはたくさんある。
“抗い”は流れをあぶり出す。そして変えて行く…そう信じたい。

10.5.21b



JUGEMテーマ:日記・一般


| 風景の行方 | 17:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://yukue.ro21.org/trackback/1364830
トラックバック
CALENDAR
S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< December 2019 >>
LINKS
PROFILE
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT TRACKBACK
モバイル
qrcode