行方の行方

このサイトは盧 興錫による『風景の行方、作品の行方』http://rofungsok.ro21.orgの続編です。
<< 響きをとどろかす | main | ゆるい構え >>
心の底石
ikebukuro

酸素バーなるものが登場してだいぶ経つような気がする。
効果のほどは経験が無いのでなんとも言えないが、行く人の気持ちが分からないでも無い。

嗅覚は鈍いほうではないので、繁華街を歩くときや、車の往来が激しいところなどでは、
知らず知らずに息を抑えている時が多い。無意識のうちに粉塵やほこり、匂いを気にしている。
それに加えて、このところの新型インフルエンザの流行だ。
マスクこそして歩いてはいないが、心の隅でやはり気になっている。
混雑した電車の中で、なるべく人と向き合わないように注意している。

むろん意識的に息を止めたりしているわけではないが、日々の生活の中で、大きく息をする機会が少なくなっていることは確かだ。「呼吸不足症」などという語はないだろうが、そんなものになっているのかもしれない。森に行って深呼吸したいところだが、そうそう毎日森まででかけることもできない。こうした実は目には見えない、見えにくい事柄が、いまの私達の生を知らず知らずに脅かしているような気がする。

インフルエンザといえば、先月みんぱくの講演会でその話を聞いた。
講演されたのは、北海道大学大学院の教授である喜田 宏先生
演目は《人獣共通感染症をいかに克服するかーインフルエンザを例に》
正直のところ、知識が薄く内容をかいつまんで説明できるほどには理解できなかったが、
一般人が理解すればいい点をしぼってくれた話だったので、ままに聞いた。

頭に残ったのは、「鳥や豚などの家禽の感染症は、その家禽で封じ込める事が最も肝心」
…白い防護服を着た人たちが鶏舎を消毒する映像を思い出した。
「鳥や豚からインフルエンザなどがヒトに感染したからといって、すぐに高い病原性となることはなく、ヒトからヒトへの感染を繰り返すうちに高病原性となる。つまりバージョンアップしていくことが問題」
…インフルエンザウィルスとは本当にしぶとく強いようだ。

話の中で印象に残ったのは、インフルエンザの棲み家、本拠地が北極圏にある湖という話だった。インフルエンザは地球上に相当古くからいるウィルスらしく、それが北の湖の氷水の中にいるそうだ。ウィルスは熱に弱い。氷水は丁度ウィルスを冷凍保存している状態となっている。

その北の湖、そこにいるカモなどの渡り鳥が、冬になり越冬するため南下し、人里近くの湖にやってくる。人里が近い湖には、家禽であるアヒルなどもやってきて、カモの運んで来たウィルスに感染する。そしてアヒルと一緒に生活している鶏に感染、そして一緒に飼われている豚にも感染し、やがてヒトへと感染する。これがルートだそうだ。

以前、温暖化でシベリアの凍土が融け始めているという話を聞いた。
凍っていたいろいろなものが融けだしたら、どうなるのだろう?…


「感染」という語は、もちろん感染症からの語だろうが、文化の「伝播」というのも、語は違えど同じようなものだ。食、衣服、音楽、知識、情報、思想、そして美 これらは伝えられたというより「感染」していったという方が実際のニュアンスは近いと思う。

国立西洋美術館で《古代ローマ帝国の遺産》という展覧会が開かれている。
ローマ帝国成立期の繁栄、暮らしぶりを美術・工芸品やポンペイの遺跡から見せよう、というものだ。ポンペイのある邸宅の庭をバーチャルに再現したCG映像がよくできている。
生活に余裕ができたローマ「市民」は、別荘をもち、その別荘を古代ギリシア風の彫像や装飾で飾り、かわいい庭をしつらえ、古代ギリシアの哲学書を読んだりして時を過ごしたそうだ。

よくギリシア-ローマとひとくくりにした表現がされるが、ローマが古代ギリシアをお手本にしていたという意味と勝手に受け取っている。実際に彫刻等はギリシア時代のものから直接コピーしたものが少なくないようだ。ローマは「ギリシアかぶれ=ギリシア文化感染症」だったわけだ。

では、ギリシアはどこから感染したのか?
通説はエジプトらしいが、東地中海と考えた方がいいのではないだろうか。
エジプト、ヨルダン、イスラエル、レバノン、シリア、小アジア、ギリシア、クレタ島に囲まれた東地中海はいわゆる瀬戸内のようなものだ。ギリシアにポリスが形成されるはるか昔から海上交通は頻繁だった。様々な地域から、いろんなものがもたらされ刺激を受け、吸収し開花したのだろう。このあたりのことは、ゆくゆく突っ込んで調べてみたい。

西洋美術館に来たのは、ほんとうに久しぶりだった。
先日、古代ギリシア文化圏美術史を研究されている羽田康一氏の講義を聴講させてもらえる機会があり、それに触発されたからだ。

羽田先生の講義内容は古代ギリシアのブロンズ彫刻の鋳造法、製像についてだが「目からうろこ」といった話が多かった。そのひとつ、有名なデルフィー(デルポイ)の馭者像についても説明があった。四頭の馬がひく二輪の戦闘馬車(クワドリガ)の馭者の像だ。馬や二輪馬車は残っておらず、馭者像だけが残っている。見ているこちらも背筋がピーンとなってしまう静かな緊張感がたまらない名品だ。

その馭者像、相当な美男子だが、目(眼球)をまぶたに固定するためにマツゲを銅板でつくりはめ込んであるそうだ。目はオニキスでつくってあるという。気がつかないほどうっすら口が開いていて歯がついている。歯は銀の打ち出しだ。口が開いているというのも、今回始めて知った。
製法、材料、技術には、その時代の粋が結集されるものだ。それは史料として重要なはずで、こういう研究が他の文明文化においても一層発展し、横断的-縦断的検証が豊富になり、一般に接しやすくなればどんなにいいことだろう。

ローマは言わずと知れた大帝国だった。遺跡、遺品、文献、物語も多く。今回の展覧会でもそうだが、往時の生のリアリティは受け入れやすく想像しやすい。よって映画等の題材にも多く使われ、豊富なコンテンツゆえになじみもある。人間臭く近しい感がある。

一方、古代ギリシアは紀元前で、ローマに比べれば材料が乏しいということもあり、生のリアリティは実感しずらい。生活感として近しい感じを持つ事はできない。しかし文学、自然哲学、人間哲学、歴史学、彫刻、建築の礎はこの古代ギリシアなのだ。

彫刻だけを言えば、よりなじみあるローマ、その彫刻は残念ながらいただけない。それに引きかえ、人々や社会が実感しにくい古代ギリシア、その彫刻は文句無く素晴らしい。人間臭い”美”ではない、問答無用の”美”だ。否応を超えた”美”だ。

若い頃、それらの幾つかと出会った。
心を湖に例えるなら、これらの偉大な彫刻達はひとつひとつ石となり、湖の底に沈んでいった。デルフィーの馭者像もそのひとつだ。
石達は湖の底を固めてくれた。それから長い歳月が過ぎたが、その間湖面が波立つこともしばしばあったが湖底は揺るがず、心の平衡が大きく崩れそうになるとバランスを保つ重石となってくれた。
彫刻とはそういうものだ。




delphy





| 風景の行方 | 16:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://yukue.ro21.org/trackback/1323673
トラックバック
CALENDAR
S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< December 2019 >>
LINKS
PROFILE
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT TRACKBACK
モバイル
qrcode