行方の行方

このサイトは盧 興錫による『風景の行方、作品の行方』http://rofungsok.ro21.orgの続編です。
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響きをとどろかす
aiweiwei

「ごっつい面構えをしているな…」
どこで見た記事なのか記憶していないが、記事そのものより、そこに載ったそのアーティストのポートレートに目がいった。面構えなんていう語は、イケメンとかカワイイむすめさんには使わない。コワモテの中年男、中国の現代美術家アイ・ウェイウェイという人だ。その顔につられて作品を見てみたくなり六本木まででかけた。

会場に入ると、1立方メートル(幅、奥行き、高さ1メートル)の立方体が幾つか並んでいる。いい感じだ。
伝統的な組み木によるもの、テーブルとしたもの、1トンのプーアル茶を立方体にしたもの。ミニマルなんだが、民俗的。
作家は80年代から90年代にかけて十数年ニューヨークにいたそうで、その時期の作品だ。何だかうなづける。
すでに確立された表現形式とはいえ、作品の中に、中国からニューヨークにやって来た作家のストイックな魂が入った逸品だ。

場内を見渡すと、観客のみなさんが作品をカメラでバシャカシャ撮っているのには驚いた。
携帯のカメラで撮っている人が大半だ。三脚やフラッシュを使わなければ撮影がオッケーされている。ほとんどの人がカメラ付き携帯や小型カメラを持ち歩く時代、ブログやツイッター、投稿写真サイトが盛んになったこの時代、こういう処置は、美術館にとっても観客にとっても悪い事はなにもない。美術は”実物と出会う”べきものであり、写真や映像がいくら出回っても、それは宣伝の用しかなさない。美術展は商業映画やイベントに比べればまったくの宣伝不足。見に来た人たちに写真を撮って公開してもらえば、いい宣伝になる。

上の写真は、私もみなさんと同じように携帯のカメラで撮ったものだ。
この作品が一番気に入った。プーアル茶を固めてつくった”家”だ。

この”家”以降は、作品が”建築的”になっていく。
また、ビデオやパフォーマンス、プロジェクト、デザインと表現領域も広がっていく。
実際に建築の設計にもたずさわり、北京オリンピックスタジアムのデザインにも参加した。
彼の思考の根っこにはいつも「現代中国」があり、切り口は変われどそれが軸となっているようだ。

ただ作品は初期の方がいい。ストイックな頃の方がいい。
作品が大型、多様、多彩になるに従い、濃くではなく薄くなっていっている印象を受ける。コンテンポラリーアートでしばしば見受けられる”ディスプレー”のようになってしまっている。〈フォーエバー自転車〉やランドセルをつなげた作品などだ。

しかし、そう感じるのは、彼の作品を見るこの私が、ニューヨークと同じ構築の終末期を迎えた社会・都市の端っこに住んでいるせいなのかも知れない。私の立ち位置ー脱構築を標榜する次元から見れば”ディスプレー”に見える作品も、目下熱烈構築中の中国の現在では、その響きがとどろく芸術であるのかも知れない。
表現形式などは何でもいいのだ。作家が息をしている社会、時代にその作品が響くかが問題なのだ。

ともかく、芸術の秋、文化の秋ということで今月は何だか慌ただしい。
六本木の後は、銀座で知人の個展、その後大手町に行き、国立民族学博物館の公開講演会《人・家畜・感染症》に参加…。少し食傷気味なスケジュールが幾週続いたが、数日前久々に昼前から時間が空いた。今日は早めに帰りゆっくりと、と思っていたところに、『今日と明日、権鎮圭(クォン・ジンギュ)のシンポがあるよ』という知らせが入った。権鎮圭展が近代美術館とムサ美であるのは知っていたが、シンポジウムがあるとは知らなかった。
明日は無理。今日だけでも参加しようと武蔵野美術大学(ムサ美)に向かった。

権鎮圭とは、韓国の高名な彫刻家だ。今回の展覧会のサブタイトルにも「韓国近代彫刻の先覚者」とうたわれている。しかし、おそらく日本では知っている人の方が稀だ。
権鎮圭は終戦後(47年)に日本に留学、ムサ美(現)で学んだ。
二科展などで活躍した後、59年に帰国する。帰国後は不遇だったようだが、逝去後著名になった。

いまでも韓国からの留学生が多く学ぶムサ美であり、創立80周年を記念した事業のひとつとして企画されたものだ。国立近代美術館も2点所蔵している縁だろう、韓国国立現代美術館と3者による共同開催となった。

権が日本に居住した期間は短く、「在日」というにはやや微妙なものがあったが、美術家として日本でのウェイトが大きく濃密であったので、2002年に京都で開催した《アルン展ー在日コリアン美術を起点として》に特別展示として十数点展示した。逆な言い方をすれば、日本に展示できるだけの作品が残っていたので、そういう企画も成り立った。

残っていた作品というのも、公開されていた情報があったわけではなく、まさに探し出したわけで、展示までこぎつけるのにはかなり苦労したが、いまではいい思い出となった。当時、宣伝用に紹介文も書き「権鎮圭が、日本でも正しく評価され紹介されることを、切に願いたい」と結んだが、七年後の今日実現したことは感慨深い。であるから権鎮圭展に行かないわけにはいかない。

シンポ会場に行く前に、展覧会場に先に行った。
(近代彫刻家としての権鎮圭の詳細な説明、評価、賛辞などは発刊された立派なカタログや会場でのキャプションを読んでもらうこととして)会場に数多くならんだテラコッタの頭像を見やりながら、違った感慨をもった。

西洋美術を輸入したあとの日本では、それなりの喜び、そして苦しみがあった。
新奇なものに強い憧憬を感じるが、反面拒絶反応も相当にあった。咀嚼、消化の苦労、葛藤といったものだ。権鎮圭はパリに留学したわけではないが、やはりその喜びと苦しみを持っていただろう。日本…清水多嘉示という師、美術界という壁にバウンドしたものとはいえ、同じ煩悶をもっただろう。いや、バウンドゆえに、より複雑な感情を持っていたかも知れない。会場全体を通して何かそんな呻きのようなものを強く感じた。

濃くていい想い出ばかりの日本をあとにして権鎮圭は帰国する。理由はいろいろあっただろうが、やはり作家としての「立ち位置」の問題が大きかったのではないだろうか。彫刻家として、生まれ育ったところを立ち位置にして、手に入れた表現で、戦争で灰燼に帰した国に何ものかの響きをとどろかせたかったのだろう。
帰国直後は《カレーの市民》あるいは《弓を引くヘラクレス》のようなものを作りたいと思っていたのではないだろうか。結果的にそれは果たせなかった。

同じ会場だが、別空間に師である清水多嘉示の作品やパリ留学時代の写真なども展示してあった。
その写真を見て驚いた。
ブールデル教室の一同が揃った集合写真の中に、清水多嘉示はもちろん写っているのだが、前後して佐藤朝山が写っていた。この時代の美術史を研究している人には何のことは無いことだろうが、何やら”新発見”をしたようでうれしくなってしまった。ジャコメッティも横顔で参加しているのが、これまた面白かった。

来週にでも近代美術館に行ってみよう。


kwon


アイ・ウェイウェイ展
http://www.mori.art.museum/contents/aiweiwei/index.html

権鎮圭展ー武蔵野美術大学
http://www.musabi.ac.jp/library/muse/tenrankai/kikaku/2009/09-07kwon.html

権鎮圭展ー国立近代美術館
http://www.momat.go.jp/Honkan/kwon_jin-kyu/index.html


彫刻家・権鎮圭について
http://www.areum.org/home/02/lecture/kwon_syoukai/kwon_syoukai.html

「去り行く風景」死と生(このサイトの内09.2.27の記事)
佐藤朝山について記載あり
http://yukue.ro21.org/?eid=1176904





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美術のゆくえ、美術史の現在―日本・近代・美術
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| ロドリゲスインテリーン | 2009/11/30 9:42 AM |
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