行方の行方

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ふたつの記事
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9月19日の朝日新聞夕刊文化欄にインタビュー記事が二つ載った。
ひとりは世界的なファッションデザイナー高田賢三氏、もうひとりは児童買春防止NPO「かものはしプロジェクト」代表の村田早耶香氏だ。
記事は別々のもので、偶然同じ紙面に載ったものだが、ある意味での「対照」として受け取った。

高田氏は1939年生まれで70歳を迎えられる。戦中生まれで終戦時6歳、戦後日本を形作った第2世代に属するだろう。成長する過程は戦後復興期、高度経済成長期。
一方、村田氏は1982年生まれの27歳、「団塊の世代」の子供に属する世代であり「できあがった」あとに生まれた。成長する過程はバブル崩壊、平成不況。

高田氏は姫路から上京、新宿の文化服装学院で学び、銀座の三愛に勤務。銀座でよく遊んだ。当時は若者ファッション文化”みゆき族”が流行していた。その後、パリに渡りブティックを開店、成功を収める。
『70年に現地(パリ)で店を開いた。あの頃は資金がなくても好きなことができた。始めての作品がいきなり雑誌「エル」の表紙になったり、新聞に掲載されたり、最初の10年間、生活ができたのは、ジャーナリストのおかげ。今は広告費のある大組織に入らないとマスコミに取り上げられない。若いデザイナーに同情します。…』記事からの抜粋

できあがってしまった所には、新しいイスを置く余地はない。
そんなところだ。

「建設」の鎚音高いところでは、新しいものは受け入れやすい。新興、新開拓はそれはそれで大変だが、少なくとも可能性のあるものにはチャンスが与えられた。
そして、成長し繁栄し隙間無く「もの」が作られた上には、新しいものは受け入れられる余地がなくなる。人々の素朴な「思い」は煩雑な手続きを経なければ、場を与えられる事はなくなった。

高田氏についての記事を読みながら、これからは人々の活躍がこういうシーンよりも、別の全然違ったシーンで増えていくのではないのだろうか、そんなことを漠然と思った。

下段にある、村田早耶香(さやか)氏の記事を読む。
大学生のときに受けた国際協力の授業。東南アジアでの児童買春の惨状を知る。また、その実態を自分の目で確かめるために現地に行った。
子供が、親の借金のかたに売春宿に売られている。こんな例が無数にあり、救済のためのプロジェクトを立ち上げる。卒業と同時にプノンペンに渡り、現地事務所を開設して、様々な困難と戦いながらも、現在精力的に活動している。

『他人よりいい暮らしをすることが幸せだという価値観を知らず知らずに刷り込まれていたことに、カンボジアへ行って気がつきました』+『豊かとは、他人の痛みを自分の痛みと感じられること。そして世界の出来事を〈自分と関係のあること〉と思える、視野の広さがあることではないでしょうか』--記事より抜粋

高校生の頃は『国際協力の仕事に興味があったが、国家公務員として取り組むのが目標』だったそうだが、
結局は”組織ありき、活動ありき、運動ありき”でなく、自らが現地に行き確かめ、自らが活動をつくりだした。ここに少なからぬ敬意と大きな希望を感じた。

高田氏の世代でも、世界の”負”の問題に対して活動した人は多い。
村田氏の世代でも、世界的なファッションデザイナーを目指す人は多い。
そういったことではない。
この偶然に並んだ記事から、世代のひとつの典型を読み取る事はできるし、そう読み込みたいと思う。前世代は価値観を建設しつつ生きて来た人々であるし、後世代は「できあがってしまった」社会、価値基準に対して疑問を感じ、それを自らの出発点、歩幅でできるところから変えようとしつつある人々だ。

「できあがってしまった」閉塞化した現実に風穴を開けようとする活動は、世代を超えてそこかしこで無数に起きてはいるが、生活の微々細々にいたるまで『市場原理』が入り込んでいる現状はきびしいものだ。
巨大な壁、そんなようなものだが、自らも分子としてその壁の一部を構成しているところがややこしく、手強い。

しかし、個人個人が起こしていく、価値基準・プラットフォームの変革と多様化は壁を突き崩す希望が持てる。人の世界を計る物差し、ハカリは幾つもあるはずだし、多ければ多いほど人の世は豊かになるはずだ。『原理』は硬直しか生まない。やがて必ず破綻する。

既存の価値基準への懐疑、検証。そしてそこから逃げるためではなく、戦うための尺度を持つ事、それが知らず知らずに既存の閉塞型価値観や一時の流行熱に縛り上げられた私達の”生”を、自らに取り戻す一歩となるのではないだろうか。
このことは日本の戦後史の曲がり角といったものにはとどまらない。それこそ世界レベルでの『食い尽くし型』文明からの大きな転換点となっていく貴重なことだ。時代はそこまで来てしまった。

高田氏の記事は上段、村田氏の記事は下段
今の時代、村田氏の記事こそ上段であるべきだ。
この段組みの価値基準を聞いてみたい気がする。





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