行方の行方

このサイトは盧 興錫による『風景の行方、作品の行方』http://rofungsok.ro21.orgの続編です。
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一本の直線 地中海から
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ここしばらく、テレビでは「酒井!酒井!!」の連呼が続いている。衆議院選挙の名前の連呼とだぶり「さかい・のりこをよろしくお願いします」とも聞こえてしまう。ニュースの作り手・送り手が丁度「清純派アイドルのりぴー」のファンにあたる世代なのか、『だまされた!、欺かれた!!』という語気の荒さに当惑だ。

麻薬は大学生等にも広がっているという。
閉塞した現実は虚無感を生む。
麻薬蔓延の温床はこの虚無感ではないだろうか。
実はこの虚無感というのは、人間社会にとって慢性の恐ろしい病弊なのかもしれない。

坂道を元気によいしょ、よいしよと上っている時は病も鎮まっているが、停滞し始めるととたんに忍び寄ってくる。虚無という黒い海に落ちないようにするには、打ち寄せる波に気を取られず、日々の一歩一歩を大切にするしかないようだ。心の在り方という古くてそしていつも新しいこの事がキーでしかない。

しばらくバタバタしていて、大航海時代のイベリア半島から遠ざかっていた。(09年4月記事『気づくと”森”の中に立っていた』)
15世紀末のスペインから17世紀オランダの小さな村に行き着いて、そのままになっていた。岩波新書『コロンブス』を開いて、戻る事にしよう。この本の著者は増田義郎氏で1979年8月20日第1刷というから、丁度30年前に出版されたものだ。出版後にコロンブス研究で進捗があったかも知れぬが、いまは不問とし、やわらかい語り口の魅力あるこの一冊に沿ってみる。

冒頭から「なるほどな〜」と思わされたのは、当時の、15世紀ヨーロッパの「書き言葉」事情だ。当時のヨーロッパは「書き言葉」確立以前であり、文盲率もかなり高かった。このことは教育=学校という近代の重要な構築物を自動的に受容してきた私達には、ピンと来ない話なのだが、「書き言葉」の確立は近代化の重要な礎のひとつだ。

「書き言葉」が成立していないので、当時の公式文章はラテン語で書かれ、そのラテン語は公証人が書くことができた。一般の人々は、家の中の細かい決まり事から、借用書など残しておきたいものがあると、わざわざ公証人の所に行き文章にして証拠として残した。文字が書けるという事はまだ『特権』だった。

話すのは地方の方言、書くのはラテン語というのが長く続いたようなのだが、この15世紀中ほど辺りから、スペイン語(カスティリャ方言)が文語として確立してきて、コロンブスもこれを習得した。イタリアはトスカーナ、ナポリ、ヴェネティア、ジェノヴァと方言があったが、トスカーナ方言が文語の地位を確立し、ジェノヴァ方言はついには書き言葉にはならなかった。コロンブスはイタリアのジェノヴァ出身なのだが、方言は違えど、言語的に近い「トスカーナ方言の文語=イタリア語」を習得すればよかったような気もするが、あえてスペイン語だった。いやスペイン語でなくてはならなかったのだ。

それはジェノヴァ人(商人)が、数世紀前から地中海西側のポルトガル・スペインに数多く進出していて、ジェノヴァ人が活動しやすい地盤ができあがっていたせいだ。海洋国家の雄ジェノヴァは東にはライバル・ヴェネティアがいるし、オスマン・トルコもいて、熾烈な競争、紛争をしていた。しかし西にはまだ未開拓の可能性が充分あった。いきおい十三世紀頃からスペイン、ポルトガルという国へ進出していくことになる。時期はレコンキスタと重なり、王国、ジェノヴァ両者にとって好都合であった。

ジェノヴァ人は、造船や航海技術に長け、交易ばかりでなく、信用制度や為替、手形取引等の銀行業務を西地中海の各地に広め、やがて商業と金融を支配するようになり、社会の支配階級に進出していく。それに加え16世紀になるとジェノヴァ自体の内紛で資本や経営術が、両国に流れ込んだ。当然、資本は投資先を求める。コロンブスはベンチャーだったのだ。

コロンブスは伝承の国「黄金の国ジパング」を目指していた。この私はその伝承の国であろうジャパンにいる。コロンブスと私を結ぶものはその程度しかないと思っていたが、「ジェノヴァ人の活動」ここが歴史の流れの大きな分岐点のようだ。イベリア半島のジェノヴァ人とこの21世紀日本とは、一本の直線によって結ぶ事ができるだろう。地中海が育んだジェノヴァ人の経営、資本、金融、投資は、大航海時代の幕を開き、いまの私達の足下までつながっている。

イベリア半島に移り住んだジェノヴァ人の中に多くのユダヤ人がいたそうだ。以前より移住していたユダヤ人(スファルディ)とも太いつながりがあった。経営、金融に長けた彼らは特権階級にのし上がるが、強い反感反発を買うことにもなる。「郷に入れば郷に従え」で当地でうまく生きるためにはキリスト教(カトリック)へ改宗する者が多かった。この者たちはコンベルソといわれ、マラーノという蔑称でも呼ばれた。

コロンブスは支配階級にいるこのコンベルソ達から多くの資金、支援を受けることになる。コロンブスの航海はコンベルソ達の「活路」でもあったはずだ。改宗したとはいえ反ユダヤ感情はいつどんな形で噴出するか分からない。社会が停滞・閉塞したとき、虚無の黒い雲に覆われ、拒絶反応でヒステリー状態に陥ることがある。そのヒステリーの矛先がいつ「ユダヤ」に向かってくるかも知れず、そのことは骨身に沁みて分かっていたはずだ。烙印とは恐ろしいものだ。コロンブスが出航して17日後にスペインのユダヤ人追放令が下される。このタイミングは実に象徴的だ。

それにしても、ユダヤ人を多く含んでいたジェノヴァ人の社会とは、一体どんなものだったのだろう。ユダヤ排斥、弾圧は中世ヨーロッパでももちろんあった。ジェノヴァといえども例外ではなかっただろう。想像に過ぎないが、「海の民」というのはその辺かなり自由な気風で、社会制度においても鷹揚であったのではないだろうか。交易が主であるなら、金融は不可欠、人種、信仰よりシステムの動力となるものが尊重されたと思える。

また意外に思ったのが、ジェノヴァ人達の「身軽さ」だ。商機や成長を、ジェノヴァあるいはその近海に求める事ができなくなったとはいえ、けっこう簡単に他国に移住しているという印象を受ける。オスマン・トルコの脅威がすごかったのか、「海の民」ならではということなのか、ジェノヴァ特有なのか、この世紀あたりからなのか、移住した彼らは故郷のジェノヴァをどう思っていたのだろうか、よくわからないが気になる。

筆者増田氏は最終章で、フランシスコ会の会員・信者としてのコロンブスの世界観ー黙示録的、神秘主義的な信仰心について言及している。『世界の終末が迫っている。その前にもろもろの異教徒に布教して改宗させ、できるだけ多くの人間を神の王国に迎え入れなければならない』…
キリスト教布教と近代世界システム形成。コインの裏表なのか、より合わされた縄なのか、詳しく見て行けば、まだまだ興味深いことと出会えそうだ。

そういえば、『アマルフィ 女神の報酬』という映画が公開されている。そのアマルフィもジェノヴァとライバルの海洋都市国家だった。アドリア海に面したドブロヴニクも同時代の海洋都市国家だが、その城塞の石には、「世界中の黄金をもってしても自由は売らず」と彫ってあるそうだ。行ってみたいものだ。


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岩波新書『コロンブス』(地中海とコロンブス)の章、扉絵





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