行方の行方

このサイトは盧 興錫による『風景の行方、作品の行方』http://rofungsok.ro21.orgの続編です。
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何て世界は素晴らしいのだ”
newyork

夜寝る前に必ず歯磨きをするが、ついテレビの前でしてしまう。
右手に歯ブラシ、左手にリモコンをもち、チャンネルを変えつつ歯を磨く。
どこもCMになると、泡だらけになった口をすすぎに行き、歯ブラシを取り替えて、
また、テレビの前に座り、磨きつつ見る。

行儀が悪いのだが、これも「テレビッ子」第1世代の宿命と家人にはあきらめてもらっている。ものごころついた頃には、もうテレビがあり、小学校の高学年の頃にはカラー放送されていた。テレビで育ったというくらい、子供のころはよく見ていた。
日曜は、午後は東映の時代劇、夜は日曜洋画劇場というのが定番だった。
十代後半からは、あまり見なくなったが、その後も必須ツールである。

ここのところオバマ新大統領の顔を見つつ、歯を磨く事が多くなった。
オバマ大統領就任は、アメリカ国内ばかりか世界を熱く沸き立たせたようだ。
演説がうまい。聞く人に「高揚」感を与えつつ、「説諭」もしている。
勝利演説、就任演説ともにテレビで見たが、アメリカ大統領の演説をちゃんと聴いたのは始めてだった。

映し出されたオバマ大統領の顔を見ながら、あるテレビのドキュメンタリー番組を思い出した。アメリカのある都市の黒人居住区=ゲットーに生まれ育った兄と弟の話だ。
見始めたときは番組はもう始まっていた。
冒頭を見逃したので、その兄弟が育ったゲットーがどこの都市で、何人兄弟だったのかと言った事は分からない。

東北アジアに生まれ育ったものには、ゲットーという語に何の記憶も感慨もない。
ゲットーとは本来ユダヤ人強制居住区を指す言葉だ。ヨーロッパのほとんどの国にあり、16世紀から19世紀初頭までユダヤ人を強制的に閉じ込めていた。住み分けー居住区といったやんわりしたものではない。石壁で囲い、外出は許可が必要だった。
映画『戦場のピアニスト』の中で、ナチにより再びゲットーが作られる場面がでてくる。街区をそっくり刑務所、収容所にするのだ。映画の中でゲットーの中の門が閉まるシーンが出てくるが、まるで家畜の群れのように人々が扱われる。強い憤りで吐き気がした。

ユダヤ人ゲットーと黒人ゲットー、一見、縁が薄いようにも思えるが、関係ないわけがないだろう。黒人ゲットーは奴隷貿易の産物だ。
どちらも16世紀から19世紀のヨーロッパが主役だ。ルネッサンス、宗教改革、大航海時代、奴隷貿易、価格革命、世界の一体化…近代の始まりだ。

ともかく、アメリカにある黒人居住区ゲットー、石壁まではないだろうが、それに匹敵するくらいのバリアがあったし、21世紀の現在もまだ存在し続けている。
もちろんゲットーだけではなく、その外でも人種分離政策はとられていた。
就任演説の中にでてくる、「60年前には食堂で食事をすることさえ許されなかった」とは、そのことだ。差別、疎外、排除の結果としてのゲットーでは、構造的にほとんどの人々は貧困となる。

兄弟は当然のように極貧家庭に生まれ育つ。
それでも利発で成績の良かった兄は、奨学金を得て、大学に進学、知識人として社会的な成功を収める。
一方、弟はゲットーにいて、黒人解放運動へとのめり込んでいくが、為す事すべてうまくいかずに、やがて犯罪に走り逮捕され、刑務所に入れられる事となる。
兄と弟は、社会的な立場が違いすぎ、相互に反発しあっていたが、刑務所に入れられた事をきっかけに対話を始める。そして対話により、兄は認めようとしていなかった黒人としての自覚、視座を取り戻していく。

フィルムの後半、兄が自分の息子を連れ、自身のルーツをたどる旅が印象深い。
アフリカから奴隷として売られてきた曾祖父。その売買記録を購買先の地方役場で探し出す。記録簿には、名前に続いて、どこの農場にいくらで売られたかが書かれてある。
ウィリアム・スミス ○○農場 10ドル
こんな感じだ。
名前も値段も番組内容とは全く関係ないが、詳細は忘れてしまったので、
実感が伝わるようにあえて作って書いてみた。

奴隷売買、人身売買については歴史として学んで知っていたが、リアルではなかった。しかし、アメリカの地方役場の古い書庫の中に、いまだに保管されているその書類は、まるで腹わたに触れるように歴史の「現実」を照射していた。
テレビ画面の向こうにいる兄と弟は、私たちと同時代人だ。
会いにいけば、会う事ができる。
そのナマな「現実」は、私たちの現実でもある。

歴史は「叙述」され、「説話」化される。
その「叙述」「説話」に、「近代への序章、大航海時代はアフリカ、アジア、中南米の数十、数百万の悲鳴、慟哭、屍の上に成り立った。」と書き足しておこう。
そして、それらのすべてが私たち自身の「いま」をかたち作ってもいるということを。
人の歴史は近代、現代とめまぐるしく歩みを進めてきたが、「暴力」という深い河は何も変わらずに黒く広く滔々と流れている。

子供の頃、もちろん国産のテレビ番組はたくさん見た。
『月光仮面』『てなもんや三度笠』『ウルトラQ』…など記憶に残っている。
アメリカのものも、数多く見た。
『ララミー牧場』『コンバット』『奥様は魔女』…などなど
洋画も邦画も数えきれぬほどテレビで見た。

フランク・シナトラ、ディーン・マーチン、サミー・デービスJrなどが出ていたハリウッド映画もよく見た。
そんな中でもジャズマンのルイ・アームストロングが役柄もステージミュージシャンとして登場していたのがあって、歌も風貌も大好きだった。
「この素晴らしき世界」を大ヒットさせたサッチモ=ルイ・アームストロング。
彼も人種差別に苦しんだ一人だった。








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